The History of the Disco(NYC編) Vol.3

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The History of the Disco(NYC編) Vol.3

リミックスという文化とその創世記の歴史について

 世界で最初に作られたリミックスというのは1960年代の事、ジャマイカのエンジニア、キング・ダビーによって発明されたダブというのが世界的な見解です。でもリミックスという名称が広く世界的に広まったのは間違いなくここまで話して来た1970年代中期のニューヨークを中心としたディスコという踊り場自体のヒットによってです。

ソウルやファンクのヒット曲でフロアを湧かせていたDJ達の思いはひとつ「もっとみんなが踊り続けていられるようにこの曲のイントロ長くしたい!この間奏をもっと続けたい!!このサビを繰り返したい!!! 」でした。

なにせ当時の曲はラジオで流れやすい事を意識して2,3分のものが多く、DJ達はそうしたヒット曲が終るとあっという間にフロアから引いて行ってしまう客を引き止めるため、同じレコードを2枚用意し、2枚目を16小節や32小節遅らせて再生し、繰り返したいポイントで1枚目から2枚目に切り替える事により結果的に構成をダンス用=フロア仕様にとリアルタイムに変更していました。

改めて書いておきますが、そんな需要からダンス・ミュージック界ではA面はメイン、B面はインストを収録したシングルの発売が多くなっていくのですが、そんな事なら最初からフロア仕様に編集し直したバージョンを売りだしたら受ける事間違いない!とふんだレーベル側がそんなDJの需要に答えて売り出したのがリミックス・ヴァージョンです。

今日でも変わらないリミックスの主な目的である、ダンスの為のフロア仕様への変更、その名もエクステンデッド・ヴァージョン=ロング・ヴァージョン、12インチ・ヴァージョン(7インチ・シングルに対して収録時間の長いリミックスはLPサイズ=12インチ仕様で売られた事からこう呼ばれるようにもなりました)、リエディット、ディスコ・ヴァージョン、ジャンボ・シングルなどと呼ばれていくリミックス・ヴァージョンの誕生です。

ディスコという踊り場に向けた現場仕様の業務用Ver.、それこそが本来のリミックスの基本でした。そうしたディスコ用のリミックスがプロモーション・レコード(販売はしない宣伝用の白ラベルのもの)として1975年あたりから出始める中、最初に一般に売り出されたリミックス・12インチ・シングルがダブル・エキシボージャーの“Ten Percent”、1976年の事でした。手掛けたのはウォルター・ギボンズでした。手法はスタジオでひたすらオリジナルのマルチ・トラックのテープとそれをミックスしたマスター・テープとの格闘とも言える編集の果てに仕上げたミックスでした。

当時ヒットしていたフィラデルフィアにある「Salsoul Records」の録音を一手に手掛けていたスタジオ、シグマ・サウンド・スタジオにはジョー・ターシャという天才的なエンジニアがいましたので、彼によりミックスされたアナログのマスター・テープを編集する事によってオリジナルのフロア受けするパートを長く引き延ばした(何度も同じ部分を繰り返したりしながら)構成にし、フロア向けのエクステンデッド・ヴァージョンを作ったのでした。

今ではDAWで何も考えずコピー/ペーストしている作業をマルチ・トラック・レコーダー(もちろんこちらもアナログね)の素材を何度もミックスし、録音したマスターの2トラック・テープ自体を、例えばイントロを4倍にしたかったら4回繰り返しマスター・テープに録音し、アタック部分を頼りに正確に小節終りと次の小節頭を探してテープ自体をカッターで切断、互いをテープでマスター・テープの裏側部分を接着/固定するという、現代を生きる皆様には到底伝えきれないアナログ作業を何度も何度も繰り返し仕上げていたというのが当時の手法でした。

でもそこで大事な事が「例えばイントロが4回繰り返されるのなら、1回目はドラムとコンガだけで良いじゃない。それで2回目からピアノとベースが出て来て・・・」なんていうダブ的解釈のリミックス・アレンジ脳自体も少しずつ生まれて来た事ですね。個人的にはここで生まれたこの発想こそが今日に繋がるリミックスの発想の原点だと思います。

またサウンド的にもよりダンス色の強くなるよう(=踊りたくなるよう)、リズムやベースの音を強調したイコライジングを施したミックスをするようにもなり(これもトム・モウルトンが始めました)、フロアにも大好評でヒットした“Ten Percent”の反響を受けサルソウルはもちろん、他レーベルも次々にリミックス・ヴァーションをリリースするようになりました。もちろん当時は一般発売はされたものの12インチの存在はまだまだ基本的にはDJや一部のラジオ・プレイ用、極めて業務用のものでした。

‘70年代の後半にはSEQENTIAL CIRCITS Prophet-5等シンセザイザーの台頭により、こうしたリミックス作業にも電子楽器を使ってさらにアグレシッブな仕込みをするようにもなっていきます。そうしたサウンドはやがて80年代のブラコンや後のハウス・ミュージックへと繋がって行く事ともなっていきます。

シンセ等機材の進化はまずダンス・ミュージックにいち早く取り入れられ、同時期西ドイツで盛り上がったミュンヘン・サウンドと呼ばれる独自のディスコ・サウンドでは、リズムマシンやシンセサイザーのアレペジエーター等のシーケンス・パターンを多用した無機質で刺激的なサウンドが特徴で世界的にヒットしました。

ご存知ジョルジオ・モロダーがプロデュースした一連のミュンヘン・サウンドはリミックス・バージョンも大量に作られ1大ブームを巻き起こします。その代表格、ドナ・サマーのリミック・バージョンは遂には17分にも達し、そうしたサウンドは後のハイエナジーやユーロビート、そしてシカゴ・ハウスの誕生へと進んで行く事になります。

ここまで話して来たようにアメリカでディスコ・ヒットが一気に産まれて行くのは1794年。そこで、やっぱり気になるのはその前のディスコって一体どんな曲がプレイされていたのかって事ですね。もちろん僕もその場にはいませんので、様々な文献や資料から正しそうなものをいくつか上げてみます。

まずはこちら、“Sanctuary”で初めて2枚のレコードをMixしてプレイしたと言われている伝説のDJ、フランシス・グラッソの1970年のプレイ・リストから。

 フランシス・グラッソ @ Sanctuary (1970年)
Abaco DreamLife And Death In G & A
James BrownCold Sweat from Live At The Apollo – Volume II
James BrownGet Up I Feel Like Being Like A Sex Machin
Chicago I’m a Man
Jimi HendrixBand Of Gypsys
King CrimsonIn The Court Of The Crimson King
Led ZeppelinWhole Lotta Love
Little Sister You’re the One
Jackson 5ABC
Rare EarthGet Ready 」
Sam & DaveHold On, I’m Comin’
Four TopsStill Water

順不同ですがいかがですか? なるほど!と納得のレア・アースのゲット・レディからやはり60年代のソウルを引きずる感じでジャクソン5やサム&デイブ、そしてニューロックなシカゴやジミヘン、しっかり旬なクリムゾンやツェッペリンもプレイされていました。一体 “Whole Lotta Love” の間奏部分ではフロアはどうなっていたのでしょうか?なんと、「“Whole Lotta Love”の間奏ではシカゴの “ I’m a Man” がミックスされ、ギターソロ前のブレイクからまた“Whole Lotta Love”に戻されたり」していたようです。1970年に既にそんなミックスがなされていたんです!流石フランシス・グラッソ。

もう少し時間を進めて今度は、1970年から1973年まで続いたニューヨークで多くのDJやオーガナイザー、果てはクラブを始めようと志す人々にまで、大きな影響を与えた、初期“The Loft”でデヴィッド・マンキューソがプレイしていた曲を。

 デヴィッド・マンキューソ @ The Loft (1970年~1973年)
Babe RuthThe Mexican
BarrabasWild Safari
Beginning of the EndFunky Nassau
Booker T. & The M.G.’sMelting Pot
CymandeBra
Manu DibangoSoul Makossa
Olatunji!Drums Of Passion
Aretha FranklinAin’t No Way
Al GreenLove And Happiness
The IntrudersI’ll Always Love My Mama
The JB’sGimme Some More
Eddie KendricksGirl You Need A Change Of Mind
Gladys Knight And The Pips It’s Time to Go Now
Van MorrisonAstral Weeks
WarThe World Is A Ghetto 

こちらもあまりの数なので無作為&順不同です。ご存知、アレサ・フランクリン、アル・グリーンからサイマンデやマヌ・ディバンゴ、そしてヴァン・モリソンなんかもある辺りが彼らしいです。
さらに月日を進め、初期“The Loft”の後“The Gallery”でフランキー・ナックルズやラリー・レヴァンを誘い、DJを始め人気を集めて行く3台のターンテーブルを使ったDJ、ニッキー・シアーノ のプレイ・リストです。

 ニッキー・シアーノ @ The Gallery (1972年~1973年)
Genie BrownCan’t Stop Talking
Lyn CollinsThink (About It)
Creative SourceWho Is He And What Is He To You?
The Doobie BrothersLong Train Runnin’
Brenda HollowayJust Look What You’ve Done
The Isley BrothersGet Into Something
Eddie KendricksKeep On Truckin’
Love Unlimited OrchestraLove’s Theme
MFSBLove Is The Message
MFSB feat.The Three DegreesTSOP (The Sound Of Philadelphia)
The O’JaysLove Train
The Pointer SistersYes We Can Can
Betty WrightIf You Love Me Like You Say You Love Me 

ここまで来ると大分、今日ダンス・クラシックスと呼ばれているセットになって来ましたね。しかしドゥービー・ブラザーズのこの曲は本当に根強い。
いかがですか?こうした曲達が1974年以前のニューヨークのディスコで実際にプレイされていたようです。そしてなによりも40年経った今でもプレイされる曲が沢山ある事に驚きませんか。

To be continued