The History of the Disco (国内編) Vol.5

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The History of the Disco (国内編) Vol.5

 

 ‘90年代は都内には数えられないほどの大箱/小箱のクラブが生まれ、様々なクラブ・ミュージックが豊かに急速に育って行きました。

同時に国産のHipHopやR&Bを下書きにしたジャパニーズR&Bのシンガー、ミーシャや宇多田ヒカルが大ヒットを生み、UA、シュガーソウル、シルバ、ダヴル、アコ、サクラ、バード、ティナなど沢山の、世界とリンクしたダンス・ミュージックをベースとしたシンガーがデビューしていき、ジャパニーズR&Bディーバとも呼ばれたブームとなりました。また渋谷系と呼ばれたフリーソウル/レアグルーブ、さらにはDJが掘り起こすマニアックなネタ系といったクラブ以降のディープな音楽に強く影響された、されどポップなピチカート・ファイブやフリッパーズ・ギター、オリジナル・ラブなどが流行して行きます。

‘90年代に都内に存在したクラブ

芝浦 GOLD
芝浦 O’Bar 2218
有明 MZA Ariake
新宿 OTO
新宿 AUTOMATIX
新宿 MILOS GARAGE
新宿 CATALYST
新宿 CODE
新宿 Acid Tokyo
新宿 AUTOMATIX
新宿 Catalys
新宿 Rock West
新宿 LIQUIDROOM
渋谷 Organ bar
渋谷 club asia
渋谷 DJ BAR INK STICK
渋谷 The Room
渋谷 THE GAME
渋谷 club bar FAMILY
渋谷 Feel
渋谷 CAVE
渋谷 Loop
渋谷 HARLEM
渋谷 Club Asia
渋谷 J Trip Bar
麻布十番 MISSION
西麻布 328
西麻布 Yellow
西麻布 J Trip Bar
西麻布 Ring
西麻布 Club Next
六本木 Core
六本木 @TriX
六本木 Bless
六本木 Church
六本木 Nuts
六本木 Plastic
南青山 OJAS lounge
南青山 MUSE
青山 MANIAC LOVE
青山 MIX
青山 蜂
青山 Fai
青山 Apollo
青山 Blue
青山 Club M
恵比寿 Kagero
恵比寿 Milk
原宿 真空管
代官山 Soul Bar STANDARD
三宿 web
下北沢 SLITS

クラブの増加とブームに伴い、DJ自体も急速に人口が増え、大きなアナログ・レコード・ブームが生まれたのも’90年代でした。渋谷、特に宇田川町は世界有数のレコードの在庫を誇る街と呼ばれるほどレコード店が軒を連ねるようになっていました。

’90年代、渋谷でレコードを扱っていたお店を羅列してみると

HMV
Tower Record
Wave
Disk Union
Recofan
Yellow Pop
Manhattan Records
Cisco Records
Dance Music Records
Fat Beats / Homebass Records
Spice Records
Next Records
Hot Wax
Technique
Mr. Bongo Tokyo
Muteki Records
Beat Bop Records
Guinness Records
Tribe Records
Still Diggin
Face Records
Soul Junction Records
Jazzy Sport Music Shop
Coqdo Records
Extra Records
Sound of Blackness
Demode Records
Ebo Sounds
Top Nation
Breakbeats
Real Music Records
Zebra Records
Props Records
Real Deal

今でも、ダンス・ミュージックを扱っていた店舗だけでもこれくらいの数は思い出されます。改めてとんでもないブームで、渋谷は世界的にもとんでもないレコード屋の街だった事が分かります。
急速に大きくなっていったクラブとそのシーンは新宿に以前の大箱ディスコのようにLIQUIDROOMという1,000人近いキャパを誇る規模のヴェニューを生み、夜帯はライブを、週末深夜はクラブ営業をという営業形態で、世界中から様々なジャンルの、旬でコアなDJ/アーティストたちを招くようになっていきました。1994年のこけら落としのアンダーワールドに始まり、ジェフ・ミルズ、デリック・メイ、ゴールディー、JTJ・ブケム、デ・ラ・ソウル、マッシブ・アタック・・・LIQUIDROOMではあらゆるジャンルのダンス・ミューッジックのスター達のプレイを目の前で見ることができ、国内のシーンもそんなスタイルをどんどん吸収して行きました。

そうした勢いは瞬く間に大きく広がって行き、1996年8月、日本ランドHOWゆうえんちで、初のオールナイトの野外でのクラブ・ミュージックのフェスティバル、「RAINBOW 2000」が開催されます。アンダーワールド、CJ ボーランド、石野卓球、ケン・イシシから細野晴臣まで、多くの国内外のスターが出演しましたが、驚いたのがその総動員数!18,000人という、主催者の想像も駆けつけたファンの想像をも超える数に跳ね上がり、遂に日本にも” SUMMER OF LOVE”が上陸!とまで呼ばれた素晴らしい一夜のフェスでした。またパーキングに駐車してあった車のナンバープレートに、想像もしてなかった全国津々浦々から集って来ている事実を目の当たりにし強く興奮したことを覚えています。

以降クラブ・ミュージックのシーンはそれまでには無かった盛り上がりを見せ、1997年には渋谷にHipHopの聖地と呼ばれ、ニューヨークのパーティースタイルを意識したHipHopやR&B、レゲエ専用の1,000人キャパの大箱“HARLEM”がオープンします。2000年には同じく渋谷に、4つのフロアを持ち全館で1,000人のキャパを誇り、フルデジタルのサウンド・システムとレーザー・システムを備えた大型クラブ、“Womb”が、2002年には倉庫街である新木場に4つのダンス・フロアを持ち、オクタゴンという音響装置で最高のサウンドを体験できる2,400名収容の日本一の巨大フロアを誇るクラブ、“ageHa”がオープンして行き、その盛り上がりはさらに大きくなって行きます。

2000年代は、全国各地のクラブが週末ともなると海外から、東京からゲストDJを招き様々なジャンルのパーティを行い、あらゆるジャンルで集客も可能になる時代となっていきました。国産アーティストを含め、90年代にブレイクしたHipHiop/R&Bに続きHouseもJ-Houseと呼ばれる日本的な美メロで叙情的なコード進行の曲がもてはやされ、メジャーなチャートまでもを賑わせて行きます。そうした結果、次第に今度はアンダーグラウンドであったはずのクラブが以前の“ジュリアナ東京”の末期のように、ただ今流行っている、人気のあるもの見たさに集まる人が押し寄せる場所ともなっていきます。巨大なブームが生まれていくと同時に、よりコアなカウンターカルチャーも生まれていけば、それまでの歴史と同じ繰り返しを作れていったのかもしれませんが、もともと深夜営業の出来ないディスコの隠れ蓑として、法的にはグレー状態のままで大きくなっていった日本のクラブは、やがて大きなしっぺ返しとも言えるような時代を迎えることになります。

2010年から関西を中心に一気に厳しくなった、クラブへの深夜営業の取り締まりです。実は当時の取締りも’80年代の新宿での事件同様、大阪での痛ましい事件が引き金となっていました。2008年にもミナミのクラブ内で暴行致死事件が起きていた大阪、特に若者の集まるアメ村周辺はクラブが密集していた地域で、全盛時の2009年には20件を越えるクラブやDJバーが違法とされる週末の終夜営業を行い盛り上がっていました。2次騒音も含めた近隣への騒音被害も年々大きくなり、特に夏になると防音を施していないどころか道に面した窓を開け放ったり、屋上を開放したりと近隣に大音量を巻き散らす店舗までが現れ、近隣ホテルは週末の繁忙日にもあまりの騒音の為、客が寄り付かなくなる程の状況で、警察に苦情を言い続けていました。さらに朝方には泥酔客を狙って通称アメ村おやじ刈りと呼ばれた、ギャンクまがいの若者の強盗団まで現れる程荒廃した状況になっていました。東京で言うところの表参道とも言える心斎橋、その裏側、大阪の原宿/裏原とも言えるアメ村には多くの居住用マンションを含めた居住者も多く、若者向けのショップとそうした居住区画とが元々細かく入り込んでいた土地柄でしたが、そこにさらにライブハウスや終夜営業のクラブが隣接して行き、2000年代後半のクラブのバブル期とも呼べる集客の急増ともリンクし、さらには集客だけを求めた乱暴な経営方針の新規店の乱立がそうした状況に拍車をかけて行ったように思えます。

そんな中2010年1月8日、アメ村のHipHop系クラブ“Azure”で当夜は非番で遊びにきていたスタッフ(当時京都産業大学の3回生)が、店内での客同士の喧嘩を止めに入った事がきっかけに、逆に食って掛かって来られる事になり、一度は収め客を返そうと店外に出た際、再度もみ合いとなり、はねとばされたスタッフが頭を強く打ち6日後に亡くなると言う暴行致死事件までが起きました(加害者は19歳の土木作業員でした)。一般的に半グレ系や未成年客の入店には厳しかったアメ村のクラブの中で“Azure”はそうした客層の入店に甘く、同様のトラブルも少なくなかったとも言われています。さらに輪をかけて事件翌日から“Azure”は社員旅行で1週間のバリ旅行へ出かけていて、大阪府警は暴行致死事件にも関わらず現場検証さえできない状況になっていました。亡くなったスタッフのご家族からはそんな事件がおき、かつそうした事件を顧みず海外へ出かけてしまうと言うクラブの非常識さに持って行きようのない怒りを爆発させ、府警にそうした事件が二度と起きない様、大阪のクラブの一斉摘発を懇願したとも言われています。

その事件とリンクするように、大阪のみならず京都も含め2010年頃から風営法の取り締まりが強化され、2年間でおよそ20軒ものクラブが実質的な廃業を余儀なくされました。2009年まで年末のカウントダウン・イベントを大阪の大型ホテルで開催して来た京都のクラブ“World”主催のイベント“WORLD OUT”も、2010年の年末には何度かの場所や内容の変更にも関わらず最終的に府警の許諾が得られず土壇場で中止に。その経緯含め府警に対し自身のブログなどを通じて風営法のナンセンスさを訴え続けた“World”のオーナー、中本幸一は、2011年年末に“World”の階段踊り場に臨時のバーカウンターを作ったことが無断構造変更にあたるとして摘発。店は営業停止、本人は20日間の拘留後、風営法免許剥奪、5年間の免許取得禁止という刑罰を受ける事となります。そして2012年4月、大阪中崎町の老舗クラブ“NOON”が21時43分頃に「無許可で店内にダンス・スペースを設け、客にダンスをさせていた」という理由で摘発されオーナーの金光正年始めスタッフ8人が逮捕されるという事件が起き、『Let’s DANCE署名推進委員会』など法改正を求めた全国規模の市民運動が立ち上がって行く事となります。

その後、冒頭に書いたように2013年に発足した「クラブとクラブカルチャーを守る会」は超党派の衆参議員約60名による『ダンス文化推進議員連盟』の発足のタイミングで議員会館における現場関係者からのヒアリング相手として選出され、クラブとそのカルチャーの文化面や経済面での現状を訴え続け、2016年6/23の法改正の施工まで3年以上も続く議員と警察とへのロビー活動が始まる事となっていったのです。幾度もの紆余曲折がありつつも、まさかの風営法改正が2015年6月に閣議決定され、翌年6月23日に施行となりました。大正時代のタクシー・ダンスホールから、戦後の回春場ともなり、新宿ディスコ殺人事件、2000年時代の摘発と様々な時代の波に飲まれながら、法的にグレーという状況で営業してきた日本のディスコ/クラブ状況についに新たなメスが入ったのです。ただしその6年間で多くの歴史あるハコが摘発され閉店を余儀なくされ、また同時にEDMをはじめとするグローバルなムーブメントにも大きく遅れをとる事にもなり、さらには少子化という国レベルの変換期を迎えたこの国のディスコ/クラブは、ナイトカルチャーはどうなって行くのか、益々先が見えづらい状況になって来てしまいました。

これからの事などは僕などが予測できるものではありませんが、都市に集まる人々には心置きなく息を吸える、ワクワクし集い合える、そんな場所が必要なのはこれまでの多くの歴史が語っています。果たしてそれがこれからもディスコ/クラブと呼ばれる場所なのかは分かりませんが、間違いなく僕らは皆、ディスコを必要としているのです。

To Be Continued